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中年の論理

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折口信夫は学生向けの 民俗学の聞き取りにさいして 純朴な青年 寛容な老人 に聞くべし いわゆる中年 壮年には聞かないようにと書いている。
自然の光のもとでと デカルトは言っているけど その光のしたでかんがえれば 健康であり 安心してくらすには何が必要かは悩まなくてもいいとおもう 新鮮な空気 きれいな水 そして虫も食べるような美味しい食べ物 誰でも理解出来るはずである。
それが どういうわけか安定した食料生産には農薬が必要などいって 健康をささえるのは 毒であることになる。これは 大人の論理なのだというが これは弁証法ではない 中年の論理である。同じように 健やかな生活をささえるのは 何か 自然の光のもとで考えればだれでもわかる。しかし 安心 安全(中年の好きな熟語だが)をささえるのは 核 暴力 である。理解出来るのは中年の聡明な人たち。相対立するものが お互いを定立しあう。でもこれは強引な解釈であって ヘーゲルも迷惑なことである。
平和というのは 戦争と相対立しているのではない 絶対的な実体である。会ったことも話をしたこともないけど 翁長さん 残念でした。

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労働力 というのは 価値を生む可能性とも表現されているが 要は 人間の可能性のことと読み替える。
例えば おにぎり2こを食べて 人間というのはそれ以上の価値を生み出すことができる 労働者に支払われるのは
おにぎり2こぶんだけである。その他は 剰余価値とよばれる。
がしかし 人間というのは おにぎり2個を食べて なにもしないことができる。なんの価値も生まないことも無限に
可能である。この わたしのように。
今日は暑かったけど 茶わんを削った。久しぶりではあったが なぜかいけた。陶人先生の燕返しではないが 加速度というのがわかった 高台の内側を削る最後の瞬間 すばやく回していたのを つまり 春鼎先生の思い出として からだがおぼえていた。

焼き場

母の弟が亡くなった。つまり私の叔父さんということになる。
民俗学的には男子にとって母方の叔父は重要であって 特別の関係にあるとされている。
それほど頻繁にあっていたわけではない 年に23度会てもちょっと話すくらい。
ただ 涙をながしながら 自分の辛い心持ちを語りかけられたことがある。おそらく 甥であるわたしにだけ。
焼き場には 太ってメガネをかけた男ともうひとりいた。
最初に ひとつの歯をふたりではしではさんで壺に入れるのだそうだ。
カチンと叔父さんの歯が 磁器の壺のそこにふれて音がする
この音 どこかで聞いたことがある
それは こどもに初めてはえた歯が初めてガラスのコップにふれてでた音
カチンと
その音は 再び 陸にひきあげることができないほどの深い海の底に落ちてゆく

そのふたつの音の間にある
長いような 短いような 時間

太った男に 手の指の骨はどれかときいて できるだけ拾った
そっちで困らないように
見比べたことはないけど きっと 私とおなじ手を持っていたはずの叔父さん
さようなら

レッスン

先日 神戸の島崎先生を 訪ねました。去年の12月以来です。長時間にわたって 大変示唆に富む話をきくことができました
今回は ソルのエチュード1のレッスンもしていただきました。
もしも ギターの精霊というものが 実在するとしたなら(そう信じていますが)先生はその化身だとおもわれます。

発達障害2

アイスクリーム工場へ就職した長女
切手はどこで買うのか聞かれて コンビニで売ってるよというと
怖くて いけれんという
そこで 無理やり行かせたり
なんとか 行けたら 褒めたりと
コンビニへ 一人で行けたら 上等などと
思ってもいいのか

知らない人と お金を媒介した 交易をするというのは
交易 の歴史からすれば 新しい。
元来 交易は自足してきた人間にとって 怖くて 不安なものだった
だから 沈黙交易があったり その場所が 特別な場所
さかいにあるところ ひとがどこかの誰かではなくなる場所で行われてきた

コンビニで一人でいとも簡単に買い物できること自体が 異常ではないのか

と こどものことを中心にすえると 思えてくる

Appendix

プロフィール

さいがま

Author:さいがま
  たては屋
愛媛県大洲市柴甲316番地
柴窯 たてはやweb

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